幸福な結婚について

離婚率 およそ2~3組に1組


厚生労働省の「人口動態調査」によると、平成26年度の離婚件数は約22 万2000 組
これを時間で表すと、およそ2~3組に1組が離婚を決断している。


結婚する時は、神社や教会で、永遠の愛を誓った2人なのに。。。。。
運命の赤い糸で結ばれている2人だと思ったのに。。。。

統一教会(新:家庭連合)の合同結婚式

統一教会(新:家庭連合)が行っている国際合同祝福結婚式(合同結婚式)は、、宗教・宗派、思想、民族や国境の壁を越え、神様を中心とした家庭を築くために神様を中心とした結婚式を執り行うものです。

 平和世界の実現は、社会の礎である家庭の平和から始まります。「理想家庭による平和理想世界の実現」というテーマで開かれる国際合同祝福結婚式は、社会の世俗化と個人主義化によって喪失した家庭と結婚の聖なる価値と倫理を正しく立て、人種と民族と国境を越えて世界人類を真の愛と真の家庭によって一つにしようとするものです。

参考
統一教会が開催した「国際合同結婚式」
統一教会・国際合同結婚式で結婚した4組の夫婦A
統一教会の国際合同結婚式で結婚した日本人夫婦8組
統一教会の国際合同結婚式はどうやって結婚相手を決定するのか


しあわせな結婚とは?

一組の男女が、神様の願いを中心として、「ために生きる喜びを知る」ために出会う、それが私たちの考える結婚観です。自分自身のためではなく、相手のために、相手を愛するために結婚するのです。
 このサイトを通じて一人でも多くの方が幸せな結婚へと導びかれることを願っております





この世に男女がいる理由


この世に男女がいる理由イメージ 人間に男性と女性がいることを知らない人は誰もいないでしょう。しかし、「なぜそうなのか」と問われると、果たして何人の人が答えられるでしょうか?
これに対して統一原理では、「神様は人が互いに愛し合う世界を創りたいと思われ、男性と女性とを創られた」と考えています。つまり、この世に男性と女性がいるのは、お互いに愛し合うためなのです。

男性と女性が違っているのもそのためです。男性には女性が、女性には男性が必要であり、二人が愛し合い協力し合って初めて完全になることができるように、神様はあえて男性と女性を違うように創造されたのです。
もし神様が、人がひとりで何でもできるように創造されたとしたら、あえて人間を男性と女性の二性に分ける必要はなかったでしょう。ところが神様は、人類が繁殖し、その種を維持するためには、男性と女性の愛と協力が必要なように世界を創造されたのです。ここに神様の創造の神秘があるのです。

男性と女性の違い


男性と女性の違いイメージ図 「男女の違い」というとき、かつては主に男尊女卑の立場から語られてきましたが、その反動から最近では「男女の違い」そのものが「社会的につくられた差別」だとして、男女の違いそのものを否定しようとする考え方が生まれています。
しかし、統一原理の立場からすればそのどちらも間違いです。男性と女性は生まれつき違っています。そして、その違いゆえに男性には男性としての価値があり、女性には女性としての価値があるのです。つまり、男性と女性は違っていますが、価値は同じなのです。

男性の価値は女性がいなければ生じ得ず、女性の価値も男性がいなければ存在し得ません。互いの存在が、互いに価値を与えているのです。男女はお互いを「補い合う」べく、あえて「違うように」創られたのです。
聖書には、「神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された」と書かれています。つまり、男性と女性が一つになることで、“神のかたち”に似るというのです。
統一原理では、男性も女性も一人では半分に過ぎないと考えます。そのような違った特性をもった二人が愛し合い、協力し合うことによって、はじめて完全な存在になることができるのです。

結婚にかけられた願い


結婚にかけられた願いイメージ図 では、人はなぜ結婚するのでしょうか?
聖書には、神様は「人がひとりでいるのは良くない」と言われ、相対となる女性を創られたと記されています。つまり、神様は「人が一人で生きること」を願われませんでした。神様は人に「誰かのために生きること」「誰かを愛して生きること」を願われたのです。それがすなわち、「結婚にかけられた神様の願い」だったのです。
統一原理ではこう教えます。「神様は“愛したい衝動”のゆえに人を創造された。そうして、ご自身が人を創造され、愛する喜びに生きようとされたように、人にもまた、男女が互いのために生き合い、“愛し合う喜びに生きる”ことを願われた」と。

一組の男女が、神様の願いを中心として、「ために生きる喜びを知る」ために出会う、それが私たちの考える結婚観です。自分自身のためではなく、相手のために、相手を愛するために結婚するのです。
それぞれ半分にすぎない男性と女性が結婚を通じてお互いのために生き、愛し合い補い合うことで、初めて人は“神のかたち”に似た完全な存在となるのです。つまり、神様の創造の理想から考えると、結婚は人生の最重要目的の一つであり、人が完成するのに必要不可欠なものだと言えるのです。






「運命の人」は自分ではわからない


男性と女性の違いイメージ図 結婚を考えるとき、誰もがそこに「理想的な出会い」を期待すると思います。
厚生労働省が2004年に行った「少子化に関する意識調査」でも、結婚していない理由のベスト1は、男女ともに「結婚したい相手に巡り会わないから」でした。つまり、多くの人がいつか「運命の人」と出会えることを期待して、なかなか結婚に踏み切れていないのが現状なのです。
ところが、そのようにして慎重に探し出した相手であるにも関わらず、最高裁判所の「司法統計年報」による離婚理由を調べてみると、「性格が合わないから」という理由がいつの年度の調査でも男女ともにトップを占めています。

この現実はいったい何を意味しているのでしょうか?
私たちは「運命の人」を探しに探して、「この人こそ運命の人に違いない!」とやっと見つけた相手と結婚しますが、数年経つと現実が見えてきて、性格や考え方の違いなどさまざまな行き違いを経験することで、最悪の場合「選ぶ相手を間違った」と考えるようになってしまうのです。たとえ離婚にまでは至らなかったとしても、結婚後数年が経った後も、相手が「世界で唯一の自分の理想の相手である」と自信を持って言える人は、いったいどれだけいるでしょうか?

なぜ、このようなことになってしまうのでしょうか?
それは、「理想の相手」に対する考え方に問題があるのです。
そういうと、「じゃあ、どんな人が私の理想の相手だっていうの!?」と思われるかもしれません。そこで、統一原理から見た理想の相手に関して説明してみたいと思います。


趣味は合わない方がいい?


この世に男女がいる理由イメージ 統一原理の観点では、理想の相手は必ずしも自分と趣味や嗜好が合う人とは限りません。一般的に理想の相手とは、「趣味が同じ人」「性格が合う人」など、共通点が多い人を考えがちですが、統一原理の結婚観では考え方が違うのです。
それは、「なぜ結婚するの?」の項目でも説明したように、そもそも男女がお互いを補完するように創られているからです。結婚の目的は、違う要素をもった男女が出会い、愛し合い一つになることによって、ために生きる喜びを知り神様に似るようになることです。

そういう観点から考えてみれば、「自分にない要素をたくさんもっている相手」こそが、自分の理想の相手だということになります。互いに「異なった世界」を持つ二人が出会い一つとなることでお互いの世界が広がる、そんな結婚こそすばらしいものではないでしょうか?
もちろん、単に共通項がまったくないほうがいいと言っているわけではありません。理想の相手とは、「正反対」に見えて実は「相互補完的」な人、表面的な現れ方は異なるが、何か「根っこの部分」が共通しているような人です。
だから祝福結婚で出会ったカップルの中には、最初はまったく話が合わなかったという印象をもつ人もいます。しかし、交流を深めてお互いの理解と愛情が深まるにつれて、「実はよく似ていた」と感じるようになることが多くあるのです。


出会うのではなく、作り上げるもの


結婚にかけられた願いイメージ図 さて、そんな理想の相手をいったいどうやったら見つけ出すことができるのでしょうか?
祝福結婚では、相手を見つけ出す過程ももちろん重視しますが、もっと重要なのは出会った後だと考えます。
多くの人は、性格もルックスもよく、なんでもできる「完璧な人」を理想の相手だと考えるでしょう。しかし、そのような人はめったにいませんし、いたとしてもそんな完璧な相手にとって「私」は、よほどの深い愛情がない限り「必要不可欠」な存在にはなり得ません。だから、いつか別の相手に取り換えられてしまうのではという不安がつきまとうことになるのです。

子どもは皆、幼いうちは最初から出来上がっているロボットなどのおもちゃを好むでしょう。ところが、だんだん大きくなってくると、ブロックやプラモデルなど、自分の手で作り上げるもの、自分で創意工夫してアレンジできるおもちゃを好むようになります。
料理でも同じです。いくらおいしい料理であったとしても、初めから出来上がっているものを買ってきて食べるのと、自分で創意工夫して作り上げた料理がおいしくできた時と、どちらが喜びが大きいでしょうか?

統一原理では、夫と妻はお互いにお互いを作り上げていくのだと教えます。結婚相手は、初めから「理想の相手」として現れるわけではありません。その人は「理想の相手」となる「種」は持っていますが、その「種」を育てあげ花を咲かせる責任を担っているのは、その人の夫または妻なのです。
だから統一教会の祝福結婚でも、「理想の相手の種」を持った人を探すサポートまではできますが、その二人がお互いに見事に花を咲かせて「理想の相手」になれるかどうかは、どこまでも二人の責任にかかっているのです。






結婚しない男女が増える一方で、離婚件数も近年になって増えています。一時期のピークは過ぎましたが、2011年の統計では23万5719組となっており、その年の婚姻件数(66万1895組)と比較してみると、実に婚姻件数の1/3に当たるカップルが離婚していることになります。
特に近年の特徴として、熟年離婚が大幅に増えているという傾向があります。厚生労働省の調査結果によると、同居期間が20年以上の夫婦の離婚件数が1980年では1万882件だったのが、2009年では4万96件と、この30年間で約4倍に増えています。

ひと昔前に比べると、今は結婚するのも難しくなり、またその結婚を維持して最後まで二人で人生を添い遂げることも難しくなっているのです。
こう考えると、今の日本の社会で“婚活”がブームのようになっていることや、九州大学で開設された「婚学」という教養セミナーに、定員の5倍の学生が殺到したことも当然のことと感じます。

むしろ、人生にとってこれほど大切な“結婚”という内容に関して、しっかりと教えてくれる場が今までなかったことが不思議なくらいです。
この章では、今まで誰も教えてくれなかった「幸せな結婚生活を送る秘訣」や「結婚が私たちの人生にどんな意味があるのか」を、統一原理の観点から説明したいと思います。





結婚はゴールではなくスタート


結婚はゴールではなくスタート 結婚することはよく「ゴールイン」と表現されますが、結婚は決して「ゴール」ではありません。むしろ新しいレースの「スタート」地点なのです。結婚の後には、結婚生活という長いレース(フルマラソン)が待っています。
ところが、結婚を二人が恋愛し合った末にたどり着く「ゴール」のように捉えて、結婚前のプロポーズあたりでラストスパートしてしまうカップルが多いため、その後のレースで息切れして走れなくなってしまうのでしょう。
結婚前の独身生活は、たとえて言えば晴れの舞台を控えて行う練習やリハーサルのようなものです。マラソンに参加する前に自分の心と体を整えて準備するように、人生においても結婚後の人生(本番)に向けて自分の心と体を備えないといけません。

そして、その準備はレースの直前だけにするのではなく、マラソンで何か月も前から走り込みをして少しずつ体を慣らしておくのと同様に、結婚の準備も何年も前から、普段の生活の中で準備していくことが大切なのです。
それでは、結婚生活というフルマラソンをよい記録で走り切ることができるようにするために、いったいどんな準備をしたらいいのでしょうか?



愛と好きの違い


男性と女性の違いイメージ図 結婚生活という人生の本番をよりよく過ごすためには、まず「愛」とは何かについて正しく知っておく必要があります。
統一原理では、「愛とは与えることである」と定義しています。それは何かしらの見返りや成果を得るための投資などではなく、ただ「惜しみなく」与え、また「与えて忘れる」、完全に「利他的」な思いや行為のことです。
この「愛」と似ているようで本質的に違うのが、「好き」という感情です。「好き」は「私」が基準になっています。「私」が好きか嫌いか、満足しているか否か、そこに心のベクトルが向いているのです。相手を「好き」になる動機は、自分自身の喜びであり満足のためなのです。

しかし、「愛」は違います。「愛」が基準としているのは「相手」の喜びであり、幸せなのです。
そもそも、愛には損害がありません。なぜなら、与えれば与えるほど、自らが満たされ豊かになるからです。また、愛には犠牲も存在しません。なぜなら、たとえ自らを犠牲にしたとしても、相手のために生きること自体が喜びであるからです。
もし、あなたが誰かを愛したことを後悔するようなことがあれば、それは「愛」などではなく、単なる「好き」という感情であり、相手のためではなく自分自身に動機があったということになります。

幸せな結婚生活を送るためには、この「愛」と「好き」の違いをよく理解し、相手を「好き」な段階を早く卒業して、「愛する」段階に行かなければなりません。
そうではなくいつまでも自分にベクトルを向け続け、それを「愛」だと思っていると、その「愛」はやがて利己的なものへと変質していくでしょう。そして相手にその「愛」に対する代価を要求するようになり、それが得られないと不満や嫉妬心を覚え、自分と相手を拘束するようになるのです。


愛するには力が必要


愛するには力が必要 多くの人が、愛を「自然に湧き出ずるもの」のように思いがちです。もし「愛には努力が必要だ」と言おうものなら、「そんなに力んで、誰かを愛さなければいけないのか」と言われてしまうでしょう。しかし、愛とは「与える」ことであり、それには大きな力が必要なのです。多くの人が「愛」を簡単に考えてしまうのは、「愛」を「好き」という感情と取り違えているからでしょう。
愛は、「与える行為」であって、相手の条件によって左右されるものではありません。相手がいらだっている時も、元気のない時も、相手が自分を非難する時も、「それでも、私は相手を愛する」という「主体的な行為」であって、相手の長所も欠点も、尊敬できる部分も気に入らない部分も、すべてひっくるめて受け止めようという「全面的」な心情なのです。

そのため、愛には「自己の投入」が必要なのです。自ら本気で投入した分だけ、愛は強く、深く、そして大きく広がっていきます。自らの命をなげうって子女を生かそうとする、そんな父母の愛情は、最初から備わっているわけではありません。手をかけ、思いをかけ、そこに投入した心情の分だけ、愛は成長していくのです。
つまり人を「好き」になるのではなく、「愛する」ためには、自分の努力によって愛を成長させることが必要なのです。
愛は自然に生まれるのではなく、自身の努力によって成長させなければならない。これこそが統一原理の核心的教えの一つです。私たちの人生の目的は、まさに愛を成長させ、愛を完成させることにあるというのが統一原理の人生観なのです。




人生のステージと愛の成長


人生のステージと愛の成長 統一原理では、愛を育てる第一の学び舎は「家庭」であり、そこで育まれる四種類の愛の成長と広がりこそ、世の中に存在するすべての愛の原型であると説明しています。この四種類の愛というのが、「子女の愛」「兄弟姉妹の愛」「夫婦の愛」「父母の愛」の四つであり、人が成長するにしたがってこれら四つの愛も成長していくと考えます。
子どもが親から愛を受けて育ち、親を喜ばせたいという思いを高めていく時期が幼少期です。この時期に育まれるのが「子女の愛」で、これは「受動的な愛」「反射的な愛」とも言われます。光を照らし返す鏡のように、子どもは親から受けた愛に対して「喜び」を返そうとするのです。

それが成長するにしたがって、親のみに向けられていた愛や関心が、だんだん周囲へと広がっていきます。これが「兄弟姉妹の愛」です。兄弟姉妹の愛は、「自分を愛してくれるから愛そう」という子女の愛と異なり、「親が愛する存在を、自分も同じように愛していこう」とする愛であり、親や周囲から注がれた愛を、今度は自分が主体となって他の兄弟姉妹や周囲に分け与えようとするのです。そのため兄弟姉妹の愛は、人が初めて抱く「主体的な愛」と言えます。

さて、この二つの愛のステージを経て、適齢期に達した男女がいよいよ迎えるのが「結婚」です。結婚によって、人の愛の成長には大きな転換期が訪れます。夫婦の愛がそれまでの二つの愛と決定的に違うのは、子女の愛も、兄弟姉妹の愛も、その対象と範囲を広げれば広げるほど豊かになっていくのですが、夫婦の愛だけは違います。卵子が数億個の中からたった一つの精子だけを受け入れ、その他のすべてをシャットアウトするように、夫婦の愛はたった一人だけを対象とするものなのです。夫婦の愛は、一人の相手との間でどこまでも「深める」ものであって、対象と範囲を広げれば広げるほど、逆にその愛は浅く薄くなり、その価値は劣化してしまうのです。
世界で最も美しいのが男女の愛、夫婦の愛です。それは、子女の愛、兄弟姉妹の愛の土台の上で育まれる「完成段階の愛」であり、それまで培われてきたすべての愛の「実り」なのです。

しかしだからこそ、土台となるそれまでの愛を十分に育まず、準備のできていないまま夫婦の愛を結ぼうとすると、それは極めて自己中心的で略奪的な「最も醜い愛」となり、お互いを傷つけ、結婚生活を破綻させる結果になってしまうのです。
いわば、人が結婚するまでの独身期間の人生は、すべてのこの「夫婦の愛」を正しく結ぶための準備期間であると言えるのです。

人生のゴールは四つの愛の完成


人生のゴールは四つの愛の完成 さて、結婚した夫婦が愛し合って子どもを産むと、また新しい愛の境地が開かれます。それが最終段階にある「父母の愛」です。父母の愛は最も成熟した愛であり、また最も神様の愛に近い愛でもあります。
父母の愛の特徴は、「無条件的な愛」、そして「自己犠牲的な愛」です。父母は子どもが「優秀だから」「自分の言うことを聞くから」「将来自分を養ってくれるから」愛するのではなく、できの悪い子も、あまりハンサムでない子も、ただただ愛することができる無条件の愛なのです。


また、我が子のためであれば自分の生活費を削ってでも投資し、危機にあっては子を守るために自分の命を捨てることさえもいとわない、崇高で気高い愛が父母の愛なのです。
この父母の愛も、結婚して家庭を持ち、子女を産むことで初めて経験することができるものです。その意味でも、人の人生にとって結婚がいかに重要であるかがわかると思います。


私たちの人生のゴールは、まさにこれら四つの愛の完成にあります。そしてこのゴールには、結婚という通過点を経なければたどり着くことができないのです。
幸せな結婚生活を送るためには、愛の完成という本当のゴールをしっかりと見据え、結婚によって始まる新しいレースに備えて、結婚前からしっかりと準備をしておくことが大切なのです。




出会うのではなく、作り上げるもの


結婚にかけられた願いイメージ図 さて、そんな理想の相手をいったいどうやったら見つけ出すことができるのでしょうか?
祝福結婚では、相手を見つけ出す過程ももちろん重視しますが、もっと重要なのは出会った後だと考えます。
多くの人は、性格もルックスもよく、なんでもできる「完璧な人」を理想の相手だと考えるでしょう。しかし、そのような人はめったにいませんし、いたとしてもそんな完璧な相手にとって「私」は、よほどの深い愛情がない限り「必要不可欠」な存在にはなり得ません。だから、いつか別の相手に取り換えられてしまうのではという不安がつきまとうことになるのです。

子どもは皆、幼いうちは最初から出来上がっているロボットなどのおもちゃを好むでしょう。ところが、だんだん大きくなってくると、ブロックやプラモデルなど、自分の手で作り上げるもの、自分で創意工夫してアレンジできるおもちゃを好むようになります。
料理でも同じです。いくらおいしい料理であったとしても、初めから出来上がっているものを買ってきて食べるのと、自分で創意工夫して作り上げた料理がおいしくできた時と、どちらが喜びが大きいでしょうか?

統一原理では、夫と妻はお互いにお互いを作り上げていくのだと教えます。結婚相手は、初めから「理想の相手」として現れるわけではありません。その人は「理想の相手」となる「種」は持っていますが、その「種」を育てあげ花を咲かせる責任を担っているのは、その人の夫または妻なのです。
だから統一教会の祝福結婚でも、「理想の相手の種」を持った人を探すサポートまではできますが、その二人がお互いに見事に花を咲かせて「理想の相手」になれるかどうかは、どこまでも二人の責任にかかっているのです。


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